やえがし物語 【大工から始まったやえがしの家づくりのルーツを辿る】

今から40年以上前・・・

やえがし工務店会長八重樫國光(当時社長)が建てたお客様の家。
当時の家づくりについて、当時から今の変化について・・・実際に家を建て、お住まいになっているI様ご夫妻にお話を伺いました。 

大工から始まった「家づくりのやえがし」。
お客様の豊かな暮らしをとことん追求し続けていきたやえがしの原点を、
当時の話をお聞きしながら探ってきました。

※会話の中には、方言や当時の言い回し、お互いのあだ名での呼び合いなども出ており読みづらい箇所もございますが、その臨場感をお伝えたい想いより、できる限りそのままの言葉で編集しております。

ご主人= 奥さま=
【インタビュアー 】八重樫裕子専務(裕)=裕 高林部長=

裕:今日はよろしくお願いいたします。先生(ご主人)の家は会長が造らせてただいたんですよね。この家の前の家、この前解体させていただいた、あの家も。

:そうだよ。うちも古いけど一番最初じゃないよ。

裕:一番最初に上川原で建てたんだっていうのは会長からきいていたんですがHさんも亡くられたんですよ。

:わたしが記憶してるんでは、金ヶ瀬では、おまづちゃんて言って、雑貨屋の店。あの店舗を作ったのが、やえがしさんの初めてでながったがなと思ったんですよ。

裕:大体わかります。お店してたとこですよね。

:わたしが一番最初に、やえがしさんっという名前を知ったのは、それ、そこだね。

:おまづちゃいだべ。

:おまづちゃいの店舗つくっでだの。

裕:そこからスタートしたんですねぇ。金ヶ瀬の住宅は、会長が「金ヵ瀬は結構仕事したよ」と行ってました。営業マンもいなかったし、名前も当時は八重樫工務店じゃなかったですからね。

:所謂、八重樫でいく(大工)だったの。

裕:先生のお宅で一番最初たてたのは、この前解体したあの家ですよね。もちろん”やえがしでいく”さんだったんですよね?

:そう、その時はやえがしだいくで、そのあと八重樫工務店になったのがや。

裕:当時はふたりともお勤めでしたでしょ。八重樫大工さんに仕事頼んだのはなぜだったんですか?

:國みっつぁん(八重樫会長のあだ名)。私の同級生っていうことで。

一 同:笑

裕:会長と同級生だった。それだけで?

:それだけでなくて。

:わたしが話した経過があるなら、おまっちぁんの、

:八重樫大工さんがおまっちぁんの家を建てたんだそうだっていう話になったわけ。

:それがつながったんだ。

裕:つながったのね。最初はそっちなんだ。

:最初は同級生っていう。

裕:あ、そう、同級生がやってるんだていう。

:それでクラス会、今もやってるんだから。有無を言わせず八重樫さんだって。

:ちょっと私も古いもんだから、八重樫さんはね工業高校建業科出て新しい感覚をもち、親父さんの代から弟子さんがいたのね。
解体した家を建てたときはね、オートバイできて、弟子さんはリアカーで材料運んできてたの。
洋間のそのあたらしい建材みたいなのは、オートバイの横っちょにつけて、もってきて、見本を見せてたりしてた時代なのね。大工さんの弟子さんのやや半分くらいはね、仕事できるようになってきた時でした。

そういうことでね、今の会長の新しい感覚のもとに、この家ができたときにね、昭和34年でした。子供の部屋の廊下の幅を広くしてサンルームを作ってくれたの。

裕:サンルームって言われたの。

:そうだよ。サンルーム。ここくらいの大き6畳だけのサンルーム。

:玄関入って中廊下の左側に応接間を作ったから、右は台所だったのね。引越ししてから、見学者が日曜日、見せてくださいって方がいらっしゃたんですよ。とくに中廊下、子供の部屋のアイデアですか?その辺の間取りを見てほめてくれました。

:トイレに行くにしても居間を通らずに用を足せるし。そして台所があっちで。一番東だから、いいとこだねって。なにしたって、寝っ転がったっていうのがよかったのかもしれません。間取りがすごくいいって。

:間取りがいいってことね、畑の中にころりと建ったから、みんなに国道を通る人たちが見に来たのかもしれません。

裕:先生たちはここ建てるときは勤めていたでしょ、お二人とも不安はなかった?

:不安ってその通りで見込んだ人だものでしたから何も心配する事はありませんでした、八重樫さんは必ず朝に連絡くるんだったのね。

裕:材料など普通だと休みのとき打合せするじゃないですか。そうじゃなかったんですね?

:「おはようございます。こんにちは、この材料あるんだけんともどうだべ」っていうのがあいさつ。みな、すみつぼ、でえだこ(板)さ書いて、真ん中のどこさ、てんこてんこ付けて、そしてやったのだから、「すみつぼ」の機関誌(友の会広報誌の名前)ができたときは、いい名前だなって思ったわ。

裕:じゃ、OBさんへの広報誌にいい名前つけたんですね。

裕:この現場入ったのは、会長?

:会長だよ。あのタンスも会長手造りだもの。それで、その話でなんだけんとも、図面は、土木事務所の許可しかだけんとも、八重樫会長のコンピュータで(頭で)計算されてんだね。それでこれだって。ところが細かいことはないんだけんとも。おぼえているのには、それはびっくりした。

:國みっつぁんちに行って、建前のときに半分お金やって、なんて行ったことないね。朝早く来るすぺ、國みっつぁん用意してたから、って、来て、ポケットから出して、今も昔も、達筆で、領収書っていうんだか、あきらかに計算した人だったね。すごく覚えの早い(失礼な言い方ですが)國光さんには驚いていました。とにかく、あーしてこうしてって、よし、わかりましたって。

:この家建てたときのいきさつだけども、経理だとか、事業の進行状況だとか、あと、大工さん関係じゃなくて、壁塗りだとか、瓦屋とか、壁塗りは金ヶ瀬の海子くんきたことあるんだなとか、まるでコンピューター以上でしたよ。。

裕:会長は確かに数字計算は早いですね。

:私どものクラス会の会計まで、なさるのですよ。

:それから、引き続いて、この家を増築、増やそうってことになったの。土地の話がでて、土地半分あそんでたのでね。

:畑でだいこんとかで。作っていったのです。

裕:これが一番最初の家。この次に、建てさせてもらったのが、これ?

:建てる前に、ここを出すかと思ったの。それを一応八重樫さんに相談したの。「貞子ちゃん。ほだことすっことないべっしゃ、土地あるんだもん。新しく建てろ」っていうことになったの。

その一声で、なるほどそだな、土地あるんだから、この家いじくって建てるよりも、ここさ別に建てたほがいんだなって。57年に。

:そんでね、八重樫さんで毎日家建てるって噂だった。ほすっと(そうすると)こっちは嬉しくなってね。八重樫さんでいっぱい建てるんで、おらいの大工さんだと思っていました。

裕:おらいの大工さん(笑)同級生っていいね。

:建ててもらう人は八重樫さんさ頼むと、忙しくてしばらくなげておられるって評判だったけど、やっぱり八重樫さんだったんだね。

一同:あはは。

:長くかかっても、やっぱり八重樫さんだったんだわ。

:今の基礎の時代だと思うな。

:だと思う。

:次から次へとね建ててんの。

:建前だ、今日も建前だって。

裕:だって、人いないんでやってたんだもんね。私も小さい時自宅の電気が機械の使いすぎで停電、母から今日も残業で停電になるから早く宿題しときなよーと言われた覚えがあります。

:その時職人が15人くらいいたかなって、うわ~一人で15人も月給払うくらいかせぐのって。

:大工の駆け出しの時代に弟子雇ってたんだから食事の世話をはじめ何もかも大変だったと思うよ。裕子さんのお母さんは。

裕:昔は電気釜じゃないですからね。かまどでご飯炊いてだもんね。でも母は両手使うことができるから手早いんですよ。

:そうそう、下請けの電気工事は八重樫さんにたのんで近くの電気屋さんにしてもらったっけね。

:近くの電気屋さんんに頼んでもらいました。そんどき一言、「いい仕事するんだな」ってひとこといってくれました。それからだと思います。その電気屋さんが八重樫さんとおつきあいするようになったの。

裕:その電気屋さんとは先生のところからスタートしたんですね。新しく57年にこっちに家建てさせてもらったでしょ。そのあとすぐに古い家はさくら作業所にしたの?

:ちがうちがう。その家娘ら、約10年いたの。作業所にしたのは平成4年。隣の古い家に娘たちに入ってもらい孫を育てさせてもらいました、約10年。

裕:最初の家は作業所として、貸して、壊されるときすごくなやんだんですよね。

:なやんだなやんだ。

裕:でも、壊そうって決めたのは?

:國みっつぁんここさ2回くらいきてけだんだ。おー会長になって時間あるんだって、会長しゃべって、「この家壊すの断腸の思いだ壊すとしたら」って、國みっつぁんの手作りの洋服ダンスもあるし、そしたっけ、貞子ちゃん、この家や、くす瓦やったけど、トタンぶきにすっと、10年20年もつど、っていわったの。だって、戸はんどどっこもゆるまないし。

裕:うーん。震災で屋根だけ?

:ぐす瓦。

裕:瓦だけ?中はなんでもなかったんでしょ。

:中はなんでもなかったの。だから、10年20年もつどっていわったから、さてはと思ったっけ。

裕:うーん。

:って、その日娘がきたの。「あの家や、10年20年もつんだって」と言ったら、はははって笑うの。10年20年経ったら、誰片付けんの?と言われ早く始めなくちゃとはたと思いました。私たち二人とも80歳をすぎているものね。

裕:そのひとこと?

:そのひとことで、壊すようにしたの。

裕:会長もさみしい想いもあったみたいですよ。

:あったと思う。國みっつぁん、洋服ダンス壊すのいだましいって言ったからね。

裕:会長の青春の想い出のタンスだったでしょうからね。

:そうそう。会長さんはナショナルの商品を採用してくれたよね。ナショナル製品は高級(?)値段も一人前だけども頑丈だし、くるわないしね。

裕:キッチンとか、お風呂とか色とかは、先生たちが選んだんですか?

:おまかせだな?

一 同:あはは。

:このキッチンも半分手作り、半分以上だな、戸棚からなにから。みな引き出しも、立派に作った引き出しある。

:それは、こっちの古い方の話でしょ?新しい方だよ?

裕:いやこっち。その前、ここの家57年に建てたときのキッチン。じゃあそのときから八重樫工務店は、ナショナル(現パナソニック)の商品を使っていたんですね。

:そうだよ、仙台へ会長に連れて行ってもらった。

:そうそうこんなこともあったね。奥の寝室ね、そこに秋田杉を使って、バンバンと和室作ってくれるはずだったの。それ、途中で、洋室にしてもらうことにしたの。

裕:確か和室のつくりだったんですよね?

:和室にして、押入れも作って、秋田杉に柱で…との事でしたが。布団あげおろしってのは、うんと重労働だから、急きょ、洋間にお願いしたのでした。

:あれは同級生だから無理きいてくれたんだよなあ。

:それで、思い切って洋室にしれもらったの?

一 同:あはは。

裕:それ、先生から言われたから?

:同級生っていいなあ、普通はあそこまでできてたら断るよな

裕:設計変更料は?

:とらんねがった。

:そんなこと全然関係ないもん。この人。

一 同:あはは。

:洋室にしたから押入れないからって収納をつくってもらったの。

:だから、いれものもバンバンあんの。

:このカーテンだって、知ってる店に頼んでいいけど柄ものなんか使うなよって。ベージュ系にしろって言われてました。できてから國みっつぁん見に来て「いがったね」と言ってくれたんだわ。

:内装もこだわりあったよなあ。

:内装やさんが、ここんとこに、北大の並木道みたいなのをはって、自分ではいいできだとよろこんでいたんだけど、國みっつぁんきて、「なんだこいず!」内装やさんがいたとこで、國みっつぁんぶりーってやぶいたの。

一 同:え~。

:その絵がきにくわねってその並木道みてなの、國みっつぁん。だって私に全部ベージュ系でまとめろって言っていたので。たぶん自分のイメージじゃなかったんだよね。

裕:でもそのイメージってのは、お客さんにとってどうだったんでしょうね?

:私は目立つのいやだったから、派手でなく地味なほ好きだったから。

裕:色合いとかも?

:色合いとかも。

:色合いは、会長の感覚は派手じゃないね?

:うん。ベージュ系だね。全部

:うん、ここだって、

:会長は一軒一軒、どっかちがう家を造ってやりたいって、想いはあったみたい。

:そういう人。だから、常に、新しいアイディア描いていた人なんだよね。

裕:会長は東京に新しいホテルができたと聞くとすぐ行くものね。新しいものを自分の目で確かめアイディアを取り入れるんだよね。だから、松下電工との出会いも早かったんですよね。松下電工の商品を使って。

:でもね、國みっつぁんには悪かったんだけど、ベットだけは、シモンズベットにしてといって・・・。

裕:うん。

:固いのがいいといったら、國みっつぁんから、固くなら、なんぼでもしてあげるっていわれたの、仙台まで連れて行ってもらったんだけど、すぐのシモンズベットは入らないと言われ、ナショナルになったの。それで固いベットにするために特製のベニヤ板を敷いてその上に布団を敷いて寝てんの。

裕:今も?

:今もだよ。

裕:そのベニヤもまだつかっての?

:つかってるよ。

:普通の薄いベニヤでないんです。

裕:寝心地はいいの?

:寝心地は、私の体に合っているみたい、固いのいいって。だから、たまに出かけていくと、旅館だのいくど、必ずふっくらしたスポンジを外して布団を敷いて寝るの。

:これもやっぱりね、お宅の会社との特製ですよ。

裕:特製ね。

:だと思いますよ。

:いやいやー、和洋折中ってことある。

:和室を洋室に急きょ直してもらい、今となってはグー(正解)でした。

:秋田杉の立派な柱用意しったんだから。

:その秋田杉どこに行ったんですか?

:かげにかくれているんじゃなあい?

:かげにかくれた?(笑)

:潜んでんの。解体すっときでてくっか(笑)それからこのうち建てっ時、2階にトイレ作ったでしょ?やっぱり見学の人あったの。

:あんときではじめてでないかい?近所の人も、ここなんなの?って

裕:トイレは一家に一個みたいなもんだったでしょ?

:ふたっつつくったてのは、うん。

裕:2階にもトイレがあるのは珍しかったでしょうね。新築、新築、リフォームと3度もお世話になりまして、ありがとうございました。

:うん、3回ね。

:IHをいれてんだよね。

:あんまりにも便利よすぎんだよねわ。そっちのボタン押すと忘れたりするとだめだしね。

:ただ、一番困ったのは、地震のときね。水出てこないんだもん。

裕:でも、2階の水は大丈夫だった?

:2階もだめ。

:一番よかったのは一番古い家にあったトイレ。円筒形のタンクあったから。と、お風呂の水もってって流したものね。

:それこそ、進化しすぎて。(便利な機械は不便だなんて……)

:建ってるものは、全部八重樫工務店ですから。ほらじゃないのよ。事実なんだよ。ほんとなんだよ。

一 同:あはは。

裕:同級生てありがたいですねー。今でも同級会してるくらいだからね。会長も88歳まで現役と頑張っています。親子2代に亘って大変お世話になっております。OB施主様の会「八重樫工務店友の会」の会長もお引き受けいただき、両会長〔ご主人、八重樫会長〕これからもよろしくお願いいたします。今日は昔の私の知らない話をたくさんお聞かせ頂きましてほんとうにありがとうございました。