市場様ご夫妻インタビュー
ご主人=主 奥さま=奥
【インタビュアー 】八重樫(裕)=八 高林=高
八:今日はよろしくお願いいたします。先生の家は会長が造らせてただいたんですよね。この家の前の家、この前解体させていただいた、あの家。
主:そうだよ。うちも古いけど一番最初じゃないよ。
八:会長に聞くと一番最初にしたのは平間さんていう上川原の方なんですよ。でも平間さんも亡くなったんです。一番最初に上川原で建てたんだっていうのは会長からきいていたんです。
主:わたしが記憶してるんでは、金ヶ瀬では、おまづっちゃんて言って、雑貨屋の店。あの店舗を作ったのが、やえがしさんの初めてでながったがなと思ったんですよ。
八:大体わかります。お店してたとこ。
主:わたしが一番さきの、やえがしさんっという名前を知ったのは、それ、そこだね。
奥:おまづちゃいだべ。
主:おまづちゃいの店舗つくっでだの。
八:そっからスタートしたんだねぇ。金ヶ瀬の住宅は結構会長仕事したと行ってたわ。営業マンもいなかったわけでしょ。で、もともとは八重樫工務店じゃないからね。
奥:所謂、八重樫でいく(大工)だったの。
八:でいく?。だいくでなくて、やえがしでいく?
奥:やえがしでいくの息子だっていう話。
八:一番最初たてたのは、この前解体したあの家でしょ。そんときはもちろん”やえがしでいく”さんだったんだよね?
奥:その時はやえがしだいくで、そのあと八重樫工務店になったのがいや。
八:ふたりとも勤めてたでしょ。八重樫大工さんに仕事頼んだのはどうしてだったの?
奥:國みっつぁん。私の同級生っていうことで。
一 同:笑
八:会長と同級生だった。それだけで?
奥:それだけでなくて。
主:わたしが話した経過があるなら、おまっつぁんの、
奥:八重樫大工さんがおまっつぁんの家を建てたんだそうだっていう話になったわけ。
主:それがつながったんだ。
八:つながったのね。最初はそっちなんだ。
奥:最初は同級生っていう。
八:あ、そう、同級生がやってるんだていう。
奥:それでクラス会、今もやってるんだから。有無を言わせず八重樫さんだって。
主:ちょっと私も古いもんだから、八重樫さんのね、木造建築の新しい工業高校でたっていう感覚もさることながら、親父さんの代から弟子さんがいたのね。解体したうちを建てたときはね、オートバイできて、弟子さんはリアカーで材料はこんできてたの。洋間のそのあたらしい建材みたいなのは、オートバイの横っちょにつけて、もってきて、見本を見せてたりしてた時代なのね。基本はね、大工さんの弟子さんのやや半分くらいはね、仕事できるようになってきたの。こいずしろこいずしろっていってると、みてると仕事できるような時代だったのね。そういうことでね、今の会長の新しい感覚のもとに、この家ができたときにね、昭和34年で住宅とこども何人つくるかわからないからね、子供の部屋の予定があって、廊下の幅、広くしてね、6尺幅か、子供の部屋の。縁側、サンルーム。
八:サンルームって言われたの。
奥:そうだよ。サンルーム。ここくらいの大き6畳だけのサンルーム。そのサンルームは7尺15分くらいかな。
主:それつくって、入って中廊下に左側に応接間とか作ったですから、右は台所だったですけどもね。引越ししてから、見学者が日曜日、見せてくださいって方がいらっしゃたんですよ。とくに中廊下、子供の部屋のアイデアですか?その辺の。
奥:応接間と茶の間の間とこきらってるでしょ。ほて、廊下、その辺の下きて、トイレきたでしょ。
八:うん。
奥:家族いっとこは通んないわけなの、家族いっとこは隠れ場所。そして台所があっちで。一番東だから、いいとこだねって。なにしたって、ねっころがったっていがったの。間取りがすごくいいって。
主:間取りがいいってことね、ころりと建ったから、みんなにめについたからみにきたのね。
奥:国道になったでしょ。国道できてから、みんなみにきたのね。ここさ引っ越してから橋できたの。この国道から南が見えたわけなの。立派なおうちが。国道からおりてきて、そのころ建てた方ずいぶんいたんでない?紹介でもなんでもなくて、素敵なうちですね。そのほかの日にきた人なんかは、ぴくとも動いてないべ。
八:先生たちはここ建てるときは勤めてたでしょ、お二人とも不安はなかった?
奥:不安ってその通りで見込んだ人だもんね。八重樫さんてこっぱやくだよ、朝起きてごはんの用意なんかすっと、6時前に起きなくてねいべ。弁当つめて行ったからね。朝連絡くるんだったの。
八:6時前には、勤める前に、
奥:材料もってくっときに、オートバイで。今みっと、ほら、目でみなくてだめだからから朝と夜だったの連絡くるのは。
八:材料とか普通だと休みのとき。打合せするじゃない、そうじゃないんだね?
奥:「おはようございます。こんにちは、この材料あるんだけんともどうだべ」っていうのがあいさつ。ってみせらってね。みな、すみつぼ、えだこ(板)さ書いて、真ん中のどこさ、てんこてんこ付けて、そしてやったのだから、「すみつぼ」の機関誌(友の会広報誌の名前)ができたときは、いい名前だなって思ったわ
八:じゃ、OBさんへの広報誌にいい名前つけたんだね。
奥:「すみつぼ」こうなってんのさ、すみ入ってて、なめねけんども、へらのこういうのできちっとつけて木切るだってなんだってするんだったんだから。
八:この現場入ったのは、会長?
主:会長だよ。あのタンスも会長手造りだもの。それで、その話でなんだけんとも、頼むごとが契約とか図面とか、図面は、この建築、土木事務所の許可しかだけんとも、八重樫会長のコンピュータで計算されてんだね。それでこれだって。ところが細かいことはないんだけんとも。おぼえてんでもんね。ほいずはびっくりした。
奥:國みっつぁんちに行って、建前のときに半分お金やって、なんて行ったことないね。朝早く来るすぺ、國みっつぁん用意してたから、って、来て、たたたってポケットから出して、今も昔も、達筆で、領収書っていうんだか、あっきらかに計算した人だったね。最後の仕上げの時はお邪魔したったかあれだったけんとも、とにかく、あーしてこうしてって、よし、わかりましたって。
主:このうち建てたときのいきさつだけども、経理だとか、事業の進行状況だとか、あと、大工さん関係じゃなくて、壁塗りだとか、瓦屋とか、壁塗りは金ヶ瀬のかいこくんきたことあるんだな。私小学校の同級の。なんなんだべか。コンピュータなんじゃねのがや。言ったのは覚えてんですよ。
八:数字は早いね。確かに。会長は。
奥:クラス会の会計まで、ちゃんとだよ。
主:それから、引き続いて、このうちを増築、増やそうってことになったの。土地の話がでて、土地半分あそんでたのでね。
奥:畑でだいこんとかで。
八:これが一番最初の家。この次に、建てさせてもらったのが、これ?
奥:しねのわ。
主:建てる前に、ここを出すかと思ったの。それを一応八重樫さんに相談したの。「ていこちゃん。ほだことすっことないべっしゃ、土地あるんだもん。新しく建てろ」ってなったの
奥:早く言えば、こんな古い家に手かけんのやなのわ。
主:その一声で、なるほどそだな、土地あるんだから、このうぢいじくって建てるよりも、ここさ別に建てたほがいんだなって。57年に。
奥:そんでね、八重樫さんで毎日家建てるって噂だった。ほすとこっちは嬉しくなってね。八重樫さんでいっぺ建てるんで、おらいの大工さんだと思ってたからは。
八:おらいの大工さん(笑)同級生っていいね。
主:建ててもらう人は八重樫さんさ頼むと、ぶんなげられっからって評判だったけど、やっぱり八重樫たったんだね。
一同:あはは。
奥:長くかかっても、やっぱり八重樫さんだったんだわ。
主:今の基礎の時代だと思うな。
奥:だと思う。
主:次から次へとね建ててんの。
奥:建前だ、今日も建前だって。
八:だって、人いないんでやってたんだもんね。自宅の電気が機械の使いすぎで停電、母から今日も残業で停電になるから早く宿題しときなよーと言われた覚えがあります。
奥:ほんであんときお茶のんだとききくと15人くらいいたかなって、うわ~一人で15人も月給払うくらいかせぐのって。
主:大工の駆け出しの時代に弟子雇ってたんだから大変だったと思うよ。裕子さんのお母さんは。
八:昔は電気釜じゃないからね。かまどでご飯炊いてだもんね。でも母は両手使うことができるから手早いんだわ。
主:そうそう、下請けの電気工事は八重樫さんにたのんで近くの○○電気やさんにしてもらったっけね。
奥:國みっつぁんいったけ。「んで、言ってみっから」って、そんどきの顔わすれらんね。國みっつぁん笑うどめんこいんだけんども、そんどき一言、「いい仕事するんだな」ってひとこといって、それからだおん、○○電気やさんが八重樫さんとおつきあいするようになったの。
八:○○電気やさんとは先生のところからスタートしたんだね。新しく57年にこっちに家建てさせてもらったでっしょ。そのあとすぐに古い家は作業所にしたの?
奥:ちがうちがう。そのうち娘ら、約10年いたの。作業所にしたのは平成4年、
八:あ、平成4年に。
奥:足腰痛くてやめたから、ちゃっとまだ孫めんこくたって、まだ、そんときはめんこくねのね。までるってときは、行ってこんもりはとてもできなくて、足腰痛くて50で退職しっちゃったから。そして、あっちまで迎えしにいくの大変だよ。まさかこんもりおぼこここさおいていけねもの。ほんで、ここさはいれっつんで、ここに10年。
八:最初の家は作業所として、貸して、壊されるときすごくなやんだんですよね。
奥:なやんだなやんだ。
八:でも、壊そうって決めたのは?
奥:國みっつぁんここさ2回くらいきてけだんだ。おー会長になって時間あるんだって、会長しゃべって、「この家壊すの断腸の思いだ壊すとしたら」って、國みっつぁんの手作りの洋服ダンスもあるし、そしたっけ、ていこちゃん、この家や、くす瓦やったけど、トタンぶきにすっと、10年20年もつど、っていわったの。だって、戸はんどどっこもゆるまないし。
八:うーん。震災で屋根だけ?
奥:ぐす瓦。
八:そこだけ、瓦だけ。中はなんでもなかったんでしょ。
奥:中はなんでもなかったの。だから、10年20年もつどっていわったから、さてはと思ったっけ。
八:うーん。
奥:って、その日娘がきたの。「あの家や、10年20年もつんだって」と言ったら、はははって笑うの。10年20年経ったら、誰片付けんの?っていわったの。はっ、はたと思ったもんね。私たち二人とも80歳をすぎているものね。
八:そのひとこと?
奥:そのひとことで、壊すようにしたの。
八:会長もさみしい想いもあったみたい。
奥:あったと思う。國みっつぁん、洋服ダンス壊すのいだましいって言ったからね。
八:会長の青春の想い出のタンスだったでしょうからね。
主:そうそう。会長さんはナショナルの商品を採用してくれたよね。ナショナル製品は高級(?)値段も一人前だけども頑丈だし、くるわないしね。
八:キッチンとか、お風呂とか色とかってのは、先生たち選んだの?
奥:おまかせだな?
一 同:あはは。
奥:このキッチンも半分手作り、半分以上だな、戸棚からなにから。みな引き出しも、立派に作った引き出しある。
主:ほいず、こっちの古い方の話でしょ?新しい方だよ?
八:いやこっち。その前、ここの家57年に建てたときのキッチン。じゃあそんときから八重樫工務店は、ナショナル(現パナソニック)の商品を使っていたんだね。
主:そうだよ、仙台へ会長に連れて行ってもらった。
奥:そうそうこんなこともあったね。奥の寝室ね、そこに秋田杉を使って、バンバンと和室作ってくれるはずだったの。それ、途中で、洋室にしてもらうことにしたの。
八:和室のつくりだったんでしょ?
奥:和室にして、押入れも作って、秋田杉もバンバンとやってたんだ。布団あげおろしってのは、うんと重労働だから、急きょ、洋間にしたの。で、いいから、秋田杉洋間さ、バンバンとだしててくないって言ったの。そうしたら國みっつぁんそういうわけにいかないって。
主:あいずは同級生だから無理きいてくれたんだよなあ。
奥:それで、洋室にしたの?
一 同:あはは。
主:断われっと。普通は。ほぼできあがってからだおん。
奥:それいいけどって。
八:それ、先生から言われたから?
主:同級生っていいなあ、普通はあそこまでできてたら断るよな
八:設計変更料は?
奥:とらんねがった。
主:そんなこと全然関係ないもん。この人。
一 同:あはは。
奥:そこまでは、請求かかんねの。洋室にしたから押入れなしからって収納をつくってもらったの。
主:だから、いれものもバンバンあんの。
奥:バンバンあるし、入れとくのもバンバンあるの。このカーテンだって、知ってる店に頼んでいいけど柄ものなんか使うなよって。ベージュ系にしろって、「いがった」って、できてから國みっつぁん見に来て言ってくえたんだわ。
主:内装もこだわりあったよなあ。
奥:内装やさんが、ここんとこに、北大の並木道みたいなのをはって、自分ではいいできだとよろこんでいたんだけど、國みっつぁんきて、「なんだこいず!」内装やさんがいたとこで、國みっつぁんぶりーってやぶいたの。
一 同:え~。
奥:ずれてんでねんだ、その絵がきにくわねってその並木道みてなの、國みっつぁん。だって私に全部ベージュ系でまとめろって。いったすぺ。たぶん自分のイメージじゃなかったんだね。
八:でもそのイメージってのは、お客さんにとってどうっだんだろう?
奥:私は目立つのやんだだったから、派手でなく地味なほ好きだったから。
八:色合いとかも?
奥:色合いとかも。
主:色合いは、会長の感覚は派手じゃないね?
奥:うん。ベージュ系だね。全部
奥:うん、ここだって、
主:会長は一軒一軒、どっかちがう家を造ってやりたいって、想いはあったみたい。
奥:そういう人。だから、常に、新しいアイディア描いていた人なんだよね。
八:会長は東京に新しいホテルができたというとすぐ行くものね。新しいものを自分の目で確かめアイディアを取り入れるんだよね。だから、松下電工との出会いも早かったんだよね。松下電工の商品を使って。
奥:でもね、國みっつぁんには悪かったんだけど、ベットだけは、シモンズベットにしてといって・・・。
八:うん。
奥:固いのがいいといったら、國みっつぁんから、固くなら、なんぼでもしてけるっていわったの、仙台まで連れて言ってもらったんだけど、すぐのシモンズベットは入らないと言われ、ナショナルになったの。特製のベニヤ板を敷いてその上に布団を敷いて寝てんの。
八:今も?
奥:今もだよ。
八:そのベニヤもまだつかっての?
奥:つかってるよ。
主:普通の薄いベニヤでないんです。
八:寝心地はいいの?
奥:寝心地は、いいことにしてっぺは。私この体だわ、固いのいいって。だから、たまに出かけていくと、旅館だのいくど、必ずふっからがして、下にねるの。んで、畳の上に寝るの。
主:これもやっぱりね、お宅の会社との特製ですよ。
八:特製ね。
主:だと思いますよ。
奥:いやいやー、和洋折中ってことある。
主:和室を洋室に改造しててね、急きょね、こいずださねやって。
奥:秋田杉の立派な柱用意しったんだから。
主:その秋田杉どこに行ったんですか?
奥:かげにかくれているんじゃなあい?
高:陰にかくれた?(笑)
主:潜んでんの。解体すっときでてくっか。このうち建てっ時、2階にトイレ作ったでしょ?やっぱり見学の人あったの。
奥:あんときではじめてでないかい?近所の人も、ここなんなの?って
八:トイレは一家に一個みたいなもんだったでしょ?
奥:ふたっつつくったてのは、うん。
八:それが、まさか2階まで、2個つくってって。
八:先生3回目はリフォームしていただいてありがとうございました。
奥:うん、3回ね。
八:キッチンとお風呂のリフォームをさせていただきました。
奥:IHをいれてんだよね。
主:あんまりにも便利よすぎんだよねわ。そっちのボタン押すと忘れたりするとだめだしね。
奥:ただ、一番困ったのは、地震のときね。水出てこないんだもん。
八:でも、2階の水は大丈夫だった?
奥:2階もだめ。
奥:一番よかったのは一番古い家にあったトイレ。円筒形のタンクあったから。と、お風呂の水もってって流したものね。
奥:それこそ、進化しすぎて。
主:建ってるものは、全部八重樫工務店ですから。ほらじゃないのよ。事実なんだよ。ほんとなんだよ。
一 同:あはは。
八:同級生てありがたいですねー。今でも同級会してるくらいだからね。会長も88歳まで現役と頑張っています。親子2代に渡って大変お世話になっております。OB施主様の会「八重樫工務店友の会」の会長もお引き受けいただき、両会長(市場会長。八重樫会長)これからもよろしくお願いいたします。今日は昔の私の知らない話をたくさんきけてよかったです。ほんとうにありがとうございました。